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佐保会兵庫県支部 楪の会 

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ヨドコウ迎賓館と雛人形展


2025228日(金)

 945 阪急・芦屋川駅北出口に集合しました。20人の参加です。昨年の10月以来の楪                                 

の会の催しです。懐かしい面々に会いうれしくなりました。この回が「楪の会」として最後の催しです。本当にさびしい気持ちでいっぱいです。

 ヨドコウ迎賓館は、山邑(やまむら)家(灘の酒造家)別邸として、1918(大正7)年に、アメリカ近代建築の巨匠であるフランク・ロイド・ライトによって設計されました。ライトがアメリカに帰国後は彼の日本の弟子、遠藤新・南信らによって引継がれ、1924年に竣工。1947年に淀川製鋼所が社長邸として購入されました。1974年国の重要文化財に、1989年から一般公開されるようになりました。

2月~4月は山邑家ゆかりの雛人形展が開催されていました。この期間中はオンラインでの予約でした。ヨドコウ迎賓館は六甲山の山腹に建てられたものです。幾何学的な彫刻を施した、大谷石があちこちに用いられています。大谷石は栃木県宇都宮市大谷町で採掘されている軽石凝灰岩で柔らかく細工しやすく高温に強いという特徴を持ち建物の基礎石、石塀、外壁、などに屋根に使われています。またマホガニーの複雑な木組み装飾、飾り銅板などが用いられています。マホガニーは木目にくく日本建築とは異なるものを目指したようです。特に2階応接室、3階の和室、4階食堂などが館の見所です。陽に映える大谷石の柔らであたたかな肌合い、造形の美しさがこの館の上品さを醸し出しています。ライト建築を特徴づけています。各部屋の窓側の上部や部屋間の上部にほどこされた木組み装飾が外光の差し込みが美しいリズムを織りなしています。大谷石の肌合いと木組み装飾で陽の光をうまくあしらっているかに思えます。扉にほどこされた飾り銅板の表面が緑青となり、その深みある緑が建物を引き締めています。またそのシルエットも美しい。

  



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今回の眼玉の展示物の雛飾りが3階和室に並べられていました。入館後すぐだったので大勢があつまり雛壇がみえにくく、しばらく他所の見学をとすすめられ、3階南端の広間で館内を案内しているビデオを見ました。迎賓館の説明がうまくまとめられていてしばらく興味深く見られました。ビデオでは明治時代であるのに電化がとりいれられたというのに驚き、やはり富豪は・・と思いました。見計らって和室に戻り、優雅なあでやかな雛人形たちを見ました。八代目山邑太左衛門氏が長女の誕生を祝って京都の老舗「丸平大木人形店」に依頼し、1900年~1901にかけて納められたものです。その後、淀川製鋼所に所蔵されることとなり、ヨドコウ迎賓館に戻ったということです。人形は撮影禁止なのでヨドコウからのパンフレットからとったものです。
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 希少価値の高い逸品です。ほかに花観人形で花見の宴を映したもので華やかで楽しげな雰囲気が感じられます。明治天皇・皇后の人形もありました。100年以上の歳月を経ても変わらないであろう優雅な顔立ち、豪華な衣装には引き込まれる感じです。







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# by yuzurihanokai2 | 2025-03-08 08:49

歴史散歩 「業平伝説の地を歩く」

講師:埴岡真弓氏 (S53文史・S55博前史)                                    
日時:2024年10月24日(木) 10:00~12:30(阪神打出駅前集合・JR芦屋駅で解散)
《見学コース》
阪神打出駅→1金津山古墳→2旧松濤館→3打出天神社→4阿保親王塚古墳→5阿保天神社…西国街道…(業平町)→JR芦屋駅
 さわやかな秋の一日、在原業平伝説の地を埴岡真弓さんの案内で訪ねました。
 参加者は講師を含めて19名でした。
1 金津山古墳(芦屋市指定史跡)
 古墳時代中期後半(5世紀後半) 前方後円墳(墳長約55m)
 現在、残っているのは後円部のみ(直径約42m)別名「黄金塚」「金塚」
 阿保親王(平城天皇の第一皇子)が村人達のために金瓦一千枚黄金一千枚を埋めたという伝説があります。かつては打出小槌古墳など海岸沿いに多くの古墳がありました。
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2 旧松山家住宅松濤館(芦屋市立図書館打出分室) (国登録有形文化財)
 金庫・仏具商の松山與兵衛の所有地を戦後芦屋市が購入し敷地南にあった仏教美術品の収蔵庫「松濤館」を改修。昭和29年より市立図書館として開館(平成2年から打出分室) 建物は昭和5年に松山が大阪市内の某銀行を買い取り移築したもの。打出教育文化センター内の日本庭園も松山家のものです。
 阪神間モダニズムの建築物で、松と濤の文字をデザインした物が扉にあります。
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3 打出天神社
 主祭神は菅原道真。古くは産土神(うぶすながみ)を祀っていましたが、室町時代に荘園(芦屋荘)が北野天満宮の社領となったことから天神が勧請されたとしています。
 古来、芦屋は交通の要衝で都と大宰府を結ぶ官道が通っていました。古代は道幅が6mから8mもあったそうです。
 葦屋駅家(あしやのうまや)伝承地の一つ。古代の駅家は国司や官人、外国の使節らのための宿泊施設・迎賓館で多数の馬が常備されていたそうです。
 境内社の厳島神社は明治まで金津山古墳に祀られていたものを合祀されました。
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4 阿保親王塚古墳
 古墳時代前期(4世紀)現在は径約36mの円墳ですが、江戸時代の毛利(萩)藩による修補によって大きく改変されており、本来は前方後円墳もしくは方墳と考えられています。宮内庁の管轄です。
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5 阿保天神社
 祭神は阿保親王・在原業平・菅原道真
 阿保親王は平城天皇の皇子ですが、薬子の変で出家した父の平城上皇と廃太子となった高岳親王に連座し大宰府に左遷されました。平城上皇の崩御後に入京を許され、阿保親王の子息達は臣籍降下し、在原の姓を賜わったのが業平・行平です。

 参加者は説明に熱心に耳を傾け、質問をしていました。知らなければ通り過ぎてしまいがちな場所を訪ね、埴岡さんの詳しい説明で打出小槌町、親王塚町、業平町などの由縁も知ることができました。


# by yuzurihanokai2 | 2024-10-25 23:04 | 歴史散歩

講座  マーシャル諸島での14年~マーシャル共和国教育省数学科初代シニア



講師 松本ちづ子氏(S48 理数)
2024年7月25日(木)13:30~15:00   ウィズあかし 学習室703
出席者26名(講師を含む)

  53歳の時、長年勤めた数学教師の職を辞してJICAのシニアボランティアを受験して合格、マーシャル諸島に赴いて、マーシャル諸島共和国教育省数学科で初代シニアボランティアとして2年間勤務、その後も職員として留まることになり、家庭の事情でやむなく帰国するまでの計14年間、当地の数学教育支援に尽力されました。
 2017年6月、14年間を過ごしたマーシャル諸島から日本に帰国した時、カルチャーショックから、まさに浦島太郎のようだと感じました。「浦島太郎子」という題で「支部だより45号」(2021)に一文を書きました。このような語り出しから、マーシャル諸島での数学教育の経験を話してくださいました。
話の流れは、
1.マーシャル諸島共和国紹介  2.教育省算数数学課紹介  3.マーシャルの文化、生活  +α 私の暮らしぶり  です。

 マーシャル諸島共和国は太平洋中部のミクロネシア地域に位置する島国で約1,200の島と環礁から成り立っています。環礁とはサンゴ礁が環状に発達して中央にラグーン(礁湖)を形成したもので、海洋火山の沈降に伴って形成されます。日本からはグアムかハワイ経由でのフライトがあるそうです。
 マーシャル諸島の北部にあるビキニ環礁で米軍が行なった水爆実験から今年で70年目となります(1946~58年に67回の核実験が実施された)。日本では1954年の水爆実験でマグロ漁船の乗組員が被曝したことで知られています。
首都はマジュロ、人口68,000人(2010年)。学校数は公立が小学校79、中学校2、高等学校6校、私立は小24、中0、高14校です。

 歴史的には1920~1944年はドイツに代わって日本が占領、第二次大戦後はアメリカの占領下におかれましたが、1986年にアメリカとの自由連合協定締結をもって独立し、マーシャル諸島共和国となりました。
  教育省の目標は “No child left behind”, 教育目標は「マーシャルの子供達舘は独立心に富み、環礁における伝統的な文化、価値観を尊重するとともに、西洋文化の技術、知識、価値観を理解し、広い世界的な視野の中で物事を判断できる知識を持つことをめざす」です。
 教科書選定のこと、離島でのワークショップのこと、オープンクラス(授業研究)やグループ学習の導入のこと、夏季算数数学研修会、各校の生徒代表者で競う算数の試合(学力テスト)のことなどパワーポイントで現地の写真を示しながら、教育省での活動の様子を説明してくださいました。
 「マーシャル時間に悩まされた」というエピソードもありました。、日本でも地域によって〇〇時間というのがあるように、2,3時間人を待たせても平気な風習があります。川の文化である日本に対してマーシャルは海の文化(潮の満ち引きを繰り返す)であることが影響しているのでしょうとのことでした。
 
 最後はウクレレを弾きながら、“Iian emman” というマーシャル語の歌を歌ってくださいました。 包容力のある暖かな歓迎の歌でした。
 パンダナス(タコノキ属)の葉で編んだかごやコースター、アクセサリーなどをおみやげに持ってきてくださいました。南の島マーシャルに思いを馳せながら、喜んで頂戴いたしました。
 本の紹介もありました。『開かれたかご~マーシャル諸島の浜辺から』、著者は現大統領(元教育大臣)のヒルダ・ハイネ氏の息女(詩人)です。日本語に翻訳されています。みすず書店、2022、池澤夏樹氏推薦。
 講師の同窓生の方が多く参加され、久しぶりに大勢の参加者となって、質疑応答問も活発で賑やかな会になりました。

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# by yuzurihanokai2 | 2024-07-31 15:23

バスツアー 浄土寺~平池公園∼鶉野飛行場跡・soraかさい

日時  2024年6月27日(木) 10:00~17:00
参加者 22名
コース 明石グリーンヒルホテル集合~浄土寺~平池公園~鶉野飛行場跡・soraかさい~明石グリーン   ヒルホテル解散
 梅雨の合間の一日、観光バスで北播磨の各所を訪れました。
 *国宝 極楽山浄土寺 (小野市)
 2グループに分かれ、それぞれボランティアガイドさんからの説明を聴きながら拝観しました。
 浄土寺は加古川左岸の小高い丘陵の先端部に位置し、ここから西方を望むと広大な平地が広がっています。この平野部は、奈良の東大寺の荘園であった所で大部荘(おおぶのしょう)と呼ばれていました。源平合戦の兵火で焼失した東大寺を再建するための責任者となった重源上人は、この地を再開発することにより再建の費用を賄おうとしました。その拠点としてつくられたのが浄土寺で播磨別所とも呼ばれています。
 薬師堂は建久8年(1197年)に上棟しましたが焼失により室町時代の永正14年(1517年)に再建されています。
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 浄土堂は大仏様(だいぶつよう)という建築様式の建造物です。堂内には快慶作の阿弥陀三尊立像があります。お堂と共に国宝に指定されています。
 夕方になると西日が差し込み、床に反射して屋根裏に当たり、それが本尊にふり注ぎ本尊を赤く染めるそうです。阿弥陀様が雲に乗って西方浄土から迎えに来るという御来迎の姿を実際に見せようとしたものです。
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 八幡神社本殿は創建時にまつられた浄土寺の鎮守社です。拝殿は左右に分かれる割拝殿で本殿には花木や鳥を配した蟇股(かえるまた)の装飾があります。
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 *平池公園 (加東市)
 ちょうど蓮が見頃で大勢の人が訪れていました。
 大賀蓮は、千葉市にある落合遺跡から発掘された種子を故大賀博士が発芽に成功させたものです。この種子は今から2000年前のものと推定されています。加東市の大賀蓮は昭和58年に鳥取県農業試験場から譲り受けた15粒を発芽・繁殖させた貴重なものです。


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 *鶉野飛行場跡・soraかさい (加西市)                    
 姫路海軍航空隊鶉野飛行場は第二次世界大戦が激化し始めた頃、パイロット養成を目的に昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場です。姫路海軍航空隊が開隊され多くの若者が飛行機の操縦訓練を実施。滑走路の南西にあった川西航空機姫路製作所の工場では約500機の戦闘機が組み立てられました。入り口には、命を落とした若者らの名前が刻まれた平和祈念碑が建立されていました。ガイドさんの説  明を聴きながら見学しました。                                  
 soraかさいの歴史ゾーンでは航空隊の開隊から終戦までの映像や資料を観ました。        
 技術ゾーンには戦闘機紫電改と九七型艦上攻撃機の実物大模型が展示されていました。外観・形状・寸法を正確に再現したもので九七型艦上攻撃機が搭載しているのは出撃時と同じ800㎏の爆弾の模型                         
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九七型艦上攻撃機(上)  
              局地型戦闘機「紫電改」(下)
 1200mの滑走路を見ながら移動し約2㎞先にある巨大防空壕跡を見学しました。基地内最大のコンクリート製防空壕で、入り口から降りる階段は急勾配でした。
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 個人ではなかなか行かれない場所を巡り、詳しい説明を聞くことができたので、参加者一同は喜んでいました。また親睦もでき楽しいバスツアーでした。

# by yuzurihanokai2 | 2024-07-01 12:42 | バスツアー

竹中大工道具館の見学



2024年5月23日  10時~12時
  竹中大工道具館(神戸市中央区)見学 
   参加者 13名


 空模様はやや曇り空ですが雨はふりそうになさそうでした。

神戸市中央区の新神戸駅に近い大工道具の専門博物館の見学でした。

JR三宮西口10時に集合し市バスに乗り熊内町で下車して徒歩で目指しました。

木造平屋建ての道具館が新緑いっぱいの木々の間から見えました。

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 道具館の建物は地下2階を持つ平屋建てで、展示場は地下12階です。

1階は特別展に使われているようです。このホールもほとんど木材造りです。天井は杉の「船底天井」です。

常設展示場は地下1階と2階で7つのコーナーに分けて展示されています。


〇道具と手仕事

        鋸 鉋 定規 鑢  など多くの道具の展示がありました。

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大和殿の組物(木造建築において屋根を支えるための柱頭にに設けたもの)

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〇歴史への旅

     法隆寺五重塔模型

     法隆寺五重は世界最古の木造建築

     屋根が積み上げ構造で、真ん中に心柱を吊り下げる構造で免振構造をなしている。

       



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〇棟梁に学ぶ

    棟梁は、大工らを束ねる長のことで建物の設計から施工、大工らのまとめまで

    取り仕切るひとです。

     西岡常一( 1908~1995) 代表的棟梁

       法隆寺専属の宮大工‥法隆寺の全伽藍の解体、大修理を行い、

       また薬師寺の金堂および西塔の再建も行った

       用いる木はその癖を見抜き適した場所に用いると長持ちするといっている。



        建築に用い資材の検討、工事費の見積もり

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      二軒隅組 手前が平行垂木、奥は扇垂木でいずれも2軒、垂木も茅負も反り返っている。


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〇名工の輝き 

千代鶴是秀(1874~1957)鉋刃の作成を究めた名工

    

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   名工の鍛冶場  是秀はどんな作業も手をぬかず、手間のかかる工法に固執しつづけた。

    そのために道具が吟味され、工房は整理され、道具を置く場所も吟味されました。

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〇和の伝統美   

茶室のスケルトン模型 (壁を塗る前の竹などによる骨組み)

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組子細工を用いた明障子   

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〇木を生かす。

いろいろな樹種の樹皮や材の比較     

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   唐招提寺の金堂組物の実物大模型が地下2階から1階へ突き抜けていて、

組み木の積み重ねのすばらしさ美しさに見とれました。

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日本の伝統建造物には多々の技術がつぎこまれており、さらにそれらの

保存修理のためにも高度な技術があり、棟梁を中心とする組織のもと、伝統をうけつぎ、

さらに工夫を重ねて発展してきました。

その技術はすぐれた道具にうらづけされ、その道具にはそれをつくる人の美意識や心づかいが

込められています。名工と呼ばれる、その道を究めた人々にささえられています。



 私が子供のころは家の新築時に大工さんが鋸で材木を切断し、鉋で木材をけずり、

烏口を用いて線引きをするのを眺めながら、傍で遊んでいたものだと懐かしく思いだします。

その鉋にも用途に応じた多くの種類、工夫、匠の職人技が込められているのです。

そのことをこの見学会でわずかもしれませんが学び、感じることができたかもしれません。







































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# by yuzurihanokai2 | 2024-06-04 14:49 | 施設訪問