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佐保会兵庫県支部 楪の会 

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歴史散歩  港町・高砂を巡る-帆布と松と-

2019年10月24日(木) 講師 小栗栖 真弓氏 (S53文史、S55博前史)

 朝から生憎の雨になりましたが、午前10時、山陽電鉄の高砂駅に予定の24名が集合し、小栗栖氏から資料をいただいて出発しました。

1.十輪寺

 まず、十輪寺に向かいました。815年、弘法大師が勅命により創建したとされる真言宗寺院だったのが、1207年、法然上人がこの地で説法したことから、法然を中興開山に迎えて浄土宗に転宗したと伝えられています。堂々とした立派なお寺でした。

 特別に本堂を開けていただき、拝観させていただくことができました。金箔の柱や金色に輝く天蓋、美しい欄間など極楽浄土を思わせるような豪華な空間の中でうっとりとしたひと時でした。本堂裏の墓地にある旧高砂城主梶原影秀公の墓碑や、境内にある工楽松右衛門墓や文禄の役で溺死した高砂の水夫たちを供養する印塔なども見学しました。

2.申義堂

 文化年間(1804~1818)に、姫路藩家老・河合寸翁が庶民教育を行うために設立した学問所で、高砂の学者である美濃部秀芳などが教えていました。高砂の庶民が学んだ郷学として、教育の原点ともいえる施設です。明治時代の廃校後、加古川市に移設されていましたが、平成24(2012)年高砂町に、江戸時代当初の姿で復元されました。高砂市指定文化財。

 座敷に座ってボランティアガイドの方の説明を聴きながら、四書五経などを熱心に学んでいた子ども達の姿に思いを馳せました。

3.善立寺(天竺徳兵衛ゆかりの地)

 天竺徳兵衛は、1612年に高砂の地に生まれ、十輪寺で勉学に励み、15歳の時にシャム(タイ)へ、その後南蛮に渡り貿易をしました。異国文化を記した見聞記を残しています。

4.昼食  『そらまめ』  高砂銀座商店街(鍛冶屋町) 「高砂や」内

 名物の『穴子のせいろ蒸し(下ごしらえした焼きあなごを、特性たれを混ぜ込んだご飯と一緒に蒸し上げる)と茶そば』をとてもおいしくいただきました。さすが、本場の焼き穴子ならではの美味でした。

5.工楽松右衛門旧宅・南堀川遺構

 江戸時代に海運業や港湾改修などを行った工楽松右衛門の旧宅は、加古川舟運や海運の港町として繁栄した高砂の南堀川の船着き場の前にあります。平成28年に高砂市が工楽家より寄付を受けて、復元・修理しました。旧宅東側の発掘調査により、江戸時代の南堀川遺構が良好に保存されていることが分かり、堀の川護岸の石垣や舟荷を揚げ降ろしする雁木という石階段など、船着き場の遺構を見ることができます。

 初代松右衛門(1743~1812)は海運業を営み、船の帆布を改良して丈夫で耐久性のある「松右衛門帆」を発明しました。また、幕府や藩の依頼で、函館や択捉島、鞆の津など全国の港を改修し、1810年高砂に居住。2代松右衛門以降も、地元高砂港の改修や新田の開発などの事業を行いました。

 工楽家は、近代には砂糖問屋などを営みながら、棟方志功などの文化人と交流し、居宅は文化サロンにもなっていました。

6.高砂神社

 神功皇后が征西凱旋の途中、高砂の地に大己貴命を祀ったといわれる。相生の松(1つの根から雌雄2本の幹をもつ松で、尉と姥の2神が宿る)は創建間もなく生えた霊松と伝えられ、現在は5代目とのこと。境内には、霊松殿、尉姥(じょうとんば)神社、神木いぶき等があり、謡曲「高砂」の発祥の地として有名です。池田輝政が築城した高砂城の跡でもあります。


 加古川の河口部西側に広がる高砂市、南は播磨灘に面し、古くから舟運、海運の便に恵まれて栄えてきたところです。その栄華を彷彿させる寺社や歴史的な街並みをゆっくりと徒歩で巡って、その雰囲気に浸りながら過ごした一日でした。いつもながら、小栗栖真弓氏の詳細な資料と名解説は、初めて訪れた高砂の地の魅力を何倍も引き出してくださったと思います。

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十輪寺
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申義堂
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穴子のせいろ蒸しと茶そば
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工楽松右衛門旧宅
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尉と姥
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高砂神社の相生の松





# by yuzurihanokai2 | 2019-11-15 19:15

多文化共生って~ バングラデシュ




講師 マズムダル・ミナ   桂 美穂子
 7月6日 勤労会館  参加者10名
 主にミナさんがプロテクターを使っての説明でした。
 映像は美しく、特に建物や仏像などきらびやかでした
 なお(  )内は補足として、ネットからの引用です)

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バングラデシュ人民共和国
イスラム教徒主体の国
国旗:みどり色の地に赤い丸
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1 地理上の位置
   かっての東パキスタン
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2歴史
     ベンガル地方東側は各時期の王朝の属領で、宗教の影響を受けていた。 
     (少し調べてみたが王朝の攻防の歴史があり、私には少々難しかった。)
     BC4C  マウリア朝  仏教の影響
     8C ヒンズー教
     16C  イスラム教
     1700年~1947年 イギリスの支配下
     1947年パキスタン(東パキスタンとして)独立
     1971年12月16日 バングラデシュとして独立
        2度の独立があったということである。
3人口統計・人口分布
     1億6500万人  世界8位(日本11位)人口密度1104.87人/㎢
     成長率1.03%%  世界人口の3.11%
     ムスリム(イスラム教徒のこと)90%  ヒンズー9%

     平均寿命 男71.1  女74.4   出生率2.17   死亡率5.4   
     自殺少ない
     ベンガル語を話す。
4経済
     GDP 世界41位  成長率7.16

5教育
    就学率72.9%   
    女子・・高校まで無料  かっては女子に教育させていなかった。  
    小学校 全員無料

6ロヒンギャ難民危機
   (ロヒンギャ:ミャンマ-のラカイン州に住む少数民族でムスリン。国籍がない。ロヒンギャ語を話す。)
   1917年軍事的弾圧を受け難民となった。
   ミャンマの弾圧で70万人が移動させられた。  難民25万人  待機350万人
   バングラデシュのロヒンギャ難民  723,000 >in2017
                1975年  20,000 入ってきた
                1991~92 250,000 入ってきた

    ロヒンギャはベンガル人 ベンガル語を話す。働き者
    バングラデシュが受け入れている。ナフ川から入る。
  
7気候変動と地球温暖化の影響
    温暖化、人口多く排出物で汚染、森林伐採・火災・枯死
    破壊・・・川の氾濫  温暖化で陸が減る:海面下になる予想は1番目ジャカルタ 2番目ロンドン 8番目大阪
    創造・・・新しい土地の開発
             最初に個人がはいり、あとで政府がはいる。
             強い者がとる。
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8司法所・立法部・執行部
  三権分立になっているが、司法は平等でない
  独立記念日3月26日
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9重要な国民日
  言語記念日 2月21日・・(国際母国語の日でもある。1999年ユネスコで制定した。)
      世界で自分の言語で!
     (政府はウルドウ語を国語とし、学校やメディアで用いさせようとした。
      1952年2月21日 ダッカでベンガル語を公用語に認めるよう求めるデモ隊に警官隊が 
      発砲した。独立運動の出来事の重要な一つして、言語記念日とした。)

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    日本でも
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勝利の日 12月14
            
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10 祭り
  正月・・4月14日  これから夏になるとき。

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11 世界遺産と重要な建築物
  ベンガルトラ
  イスラムモスク
  マングロ-プ
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12 少数民族と部族

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2時間に詰め込んだバングラデシュの紹介であった。
歴史とその遺産、人々の暮らし方の一部をかいま見たのだが、何も知らなかったことで恥ずかしい思いでした。
今後ニュースなどでは今までとは違う思いを持つことでしょう。

桂 美穂子氏より「 ミナさんは来日して30年になります。日本文化を尊重され、特に日本語検定1級をご家族全員がもっておられます。
一方自国の文化も大切にされ、自国の現状も正しくみておられます。しっかりと日本で自立して生活されています。
これこそ多文化共生です。異なる国籍・民族の人々が互いの衣食住を紹介しあうのでなく、対等に自立した生活形式を確立することです。」












# by yuzurihanokai2 | 2019-08-12 14:34 | 国際

食文化講座 「兵庫県の行事食と次世代に伝えたい料理」

2019(令和元)年627日(木)13~15時  於 神戸市勤労会館

講師 片寄 眞木子氏(S36家食)


梅雨入りした近畿地方に、熱低が台風に変わって近づくとの予報で朝から生憎の雨模様でしたが、13人の参加者でした。

平成2123年度に、日本調理科学会特別研究として「調理文化の地域性と調理科学― 行事食・儀礼食」と題した、行事食や儀礼食についての知識や経験についてのアンケート調査が全国の学生と一般人を対象に行われました。その時のアンケート(記入箇所多い)に、佐保会兵庫県支部の方々のご協力をいただき、詳細な回答をいただきましたので、調査の結果をご報告してお礼に替えたいとのメッセージがありました。

1. 全国集計のまとめ 日本調理科学会誌 44巻, 6号, 2011年.  渕上他

  24,858名(うち、学生は53.9パーセント)

●年中行事(17行事)の認知度および経験の有無

  認知度90パーセント以上のの行事(101.pngは経験も)は、学生ではクリスマス101.png 、大晦日101.png、正月101.png 節分101.png、お月見、七夕で、一般では正月101.png、クリスマス101.png、大晦日101.png、土用の丑、冬至、節分、お月見であった。

●通過儀礼(13儀礼)の認知度および経験の有無

  認知度90パーセント以上のの行事(101.png は経験も)は、学生では誕生日101.png、七五三101.png、成人式、葬儀で、一般では誕生日101.png、七五三、成人式、葬儀101.png、婚礼、法事、結納、長寿祝、出産祝、初誕生(お七夜、厄払いを含む全てを53パーセント以上が経験)。

●行事食・儀礼食の購入や外部化が進んでいる。

2.「兵庫県における行事と行事食の伝承(認知・経験と世代間比較)日本調理科学会誌 50巻, 5号, 2017年.  田中他

兵庫県居住者647名(学生379名、親世代220名、祖父母世代48名)について行事の認知と経験の有無をクロス集計し、統計検定を行った。

結果の要約:●正月、大晦日、クリスマス、節分は世代間差が小さく、広く認知・経験されている。雑煮、ケーキ、巻きずしの喫食経験は100パーセント近い。   ●上巳(桃の節句)、土用の丑、七夕などの行事は認知度が高いが学生の経験度は低い(鰻蒲焼の喫食経験は高い)。七夕は認知・経験の世代差は小さいが、経験が少ない行事である。   ●お月見、人日(七草粥)端午、春分、冬至、秋分は、認知度は高い傾向だが、学生の経験度は低い(月見団子、七草粥、柏餅、かぼちゃの喫食経験は70%台)。学生たちに経験させることが伝承につながる。   ●盂蘭盆、秋祭、春祭、重陽の認知度は低く、経験度も低い。すたれつつあると言える。


次に、平成24~25年度に行われた「次世代に伝え継ぐ 日本の家庭料理」についてのお話がありました。

昭和3040年代に、日本の各地の家庭で作られていた日常の料理や行事食を、聞き書きにより収集するという調査です。兵庫県では9地域(但馬、丹波、北播磨、中播磨、西播磨、東播磨、神戸、淡路)を調査して、次世代に伝え継ぎたい兵庫県の家庭料理約100点を選出し、それらを再現して写真撮影を行いました。

兵庫県は日本海と瀬戸内海の沿岸部、山間部、平野部、島など様々な地形と自然条件をもつ地域で構成され、また、神戸のような文明開化の先進地である大都市部も擁して多彩な食文化が培われてきました。地域特有の野山海の幸を生かした料理や外国文化の影響を加味した多彩な料理の数々が、スライドで紹介されました。

全国47都道府県のこのような料理がジャンル別に分類され、『伝え継ぐ日本の家庭料理』全16冊(別冊うかたま・農文協)として刊行されています(20172021。既刊のものは、『すし』『肉・豆腐・麩のおかず』『小麦・芋・豆のおやつ』魚のおかず』『野菜のおかず』『炊き込みご飯・おにぎり』『米のおやつともち』の7冊です。料理の写真とレシピ、背景を描くエッセイが詳しく書かれているのが特徴といえましょう。

日頃よく目にしたり、味わったりする料理や、まだ知らない料理も見せていただいて、ぜひ、一度味わってみたい、作ってみたいと思いました。

兵庫県の風土や文化が生み出した郷土料理を、できるだけ多く次の世代に伝えていきたいという気持が強くなりました。

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# by yuzurihanokai2 | 2019-07-07 22:59

バスツアー 生野銀山 生野街歩き


2019425日(木) 9:0017:15   

 あやぶまれた天気も、集合時は曇りに、午後からは晴れでした。


900 三宮東急レイホテル前を出発し、バス(山陽バス中型)は中国縦貫道、福崎から播但連絡道路を走って

1045 生野銀山に到着しました。生野銀山職員に鉱山資料館を説明いただき、その後40分かけて坑内を歩き、吹屋資料館も見学しました。

1230-1320 古民家を利用したカフェーショップ(芒種)で、昼食・歓談しました。

1330 ガイドさんの案内で、二班に分かれ、口銀谷(くちがなや)町を散策しました。生野義挙碑、寺町、旧生野鉱山職員宿舎(志村喬記念館としてオープン)、トロッコ道、井筒屋など。

1530 生野を出発。  1715 三宮到着。

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     参加者の集合写真


生野銀山は大同2年(807)に発見されたと伝えられ、室町天文11年(1542)には山名祐豊時代に銀鉱脈の本格的な採掘がはじまりました。織田・豊臣の各時代を経て、江戸時代に幕府が「銀山奉行」を設置、その後「生野代官」が置かれやがて、生野銀山の最盛期を迎えました。

明治元年、政府直轄鉱山となった生野銀山にフランス人技師ジャン=フランソファ・コワニェが着任し、軌道や巻揚機の新設など数々の先進的施策により、めざましい近代化を遂げました。

明治22年には宮内省御料局の所管へ移され皇室財産に。次いで明治29年に三菱合資会社へ払い下げられ、国内有数の大鉱山として稼行しましたが、昭和48年に閉山し、長い歴史に幕を閉じました。


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史跡生野銀山:近代坑道「金香瀬抗(かながせこう)」を観光坑道として公開している。近代的坑道にそって、人が這って通った江戸時代の坑道に狸掘りの生々しいノミ跡や鉱脈をみることができました。

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芒種の昼食:オードブル、手巻き寿司と味噌汁、食後のコーヒーでした。芒種とは芒(のぎ)のある穀物や稲や麦など穂の出る穀物の種をまく季節ということ(2019年は66日および夏至までの期間)。


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ボランティアのガイドさん:播州弁で、わかりやすく楽しく説明してくださいました。口銀谷街は落ち着いた街並み、平日だったせいか?人影がないのが印象的でした。


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生野書院:材木商の邸宅(大正期)を改修したものです。旧家の面影を残す資料館として生野銀山の古くから栄えたことを伝える貴重な資料や書画を保存・展示しています。




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もう一人のガイドさん:寺町通の東西寺の前で説明されています。宗派の異なる8つの寺が連なった地区を寺町といいます。劣悪な作業現場で働いた坑内作業者の多くが短命であったこと、鉱山に全国各地から大勢の人が集まったためいろいろな宗派が生野に必要だったことなどが、寺町形成の由来とされています。




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来迎時の芭蕉翁蓑塚:完成8年(1796)、俳人松岡青羅(せいら)が生野行脚の際に、芭蕉の古蓑のこぼれを弟子の青青庵竹也に与え、同門の弟子たちとともに建立したもの。松尾芭蕉の蓑塚は全国に4カ所つくられ、そのうちの貴重な一基です。




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カラミ石 100年前の資源リサイクル」ともいえるもので、町内のいたるところで、建物の土台や屏などの 素材として活用されています。鉱石を溶かして金属を取り出す精錬の過程で、重い金属は下に沈み比重の低い岩石の成分が上に浮きます。その浮いた成分がカラミで、冷えて固まったものがカラミ石です。生産量が少ない当初は そのまま捨てていたのが、生産量の増加とともに捨て場所に困るようになり、箱形の容器で整形して売り出しました。




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トロッコ道:1920年金香瀬坑道から支庫(旧駅)まで市川沿いに、鉱石輸送のための電車専用道が建設されました。1955年飾磨港までのトラック輸送が始まると、トロッコのレールは撤去され、貨物支庫(旧駅)も廃止されました。




佐渡の金山とならぶ生野の銀山、坑道内を興味深く歩きました。銀山で潤った豪商たちの造った街並み、ちょっとした小京都、静かな生野の街でした。八重さくら、シャクナゲ、新緑のきれいな季節でした、豊かな一日でした。

銀山坑道内は年間13℃、ちょっぴり寒く感じました。坑道を出たとき温かくホットしました。生野銀山は標高約600m、三宮に帰ってきてバスを降りたときは「暑い!」、上着を脱ぎました。温度差をしっかり感じた一日でした。




# by yuzurihanokai2 | 2019-04-28 15:45 | バスツアー

ピアノとチェロの演奏会

 
 2019年3月28日(木) 11:30~15:00 於 ドンク 岡本グルメ館 3F
 参加者24名
 演奏者:ピアノ~松尾紗里氏(まつお すずり) 
     チェロ~池村佳子氏 (いけむら よしこ)
 当初はピアノ演奏会として案内しましたが、松尾紗里氏の憧れの大先輩のチェリストの池村佳子氏に敬意を込めてピアノとチェロの演奏会としました。
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 演奏者二人は兵庫県立西宮高校音楽科、京都市立芸術大学の先輩(池村氏)、後輩(松尾氏)の関係です。
 演奏曲はプーランク:愛の小径  プーランク:ピアノとチェロのためのソナタより第1楽章(行進曲のテンポで)  第3楽章(舞踏曲)   フォーレ:エレジー
 ショパン:ノクターン 第18番 ホ長調(松尾氏のピアノソロ)  
 ショパン:序章と華麗なるボロネーズ
 アンコール曲は サン・サーンスの白鳥 でした。

これらの曲は3月31日に二人によるデュオ・リサイタル曲目の一部だそうです。
参考に、その案内パンフレットを載せておきます。
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 若い二人の気持ちのこもった演奏を最前列で聴き、チェロの指使いまでよくみえ、今までみたことのない手法の音のだし方もあり、驚きました。
メリハリのきいた演奏で、チェロとピアノの音が相まってきらびやかで、ある時は激しく力強く、ある時は郷愁にあふれていて、心豊かにすごせたひと時でした。
 1時間ほどの演奏の後は食事会で、歓談をしながら楽しい時間を過ごすことができました。




Moreつづく
# by yuzurihanokai2 | 2019-03-29 00:06 | コンサート

福祉講座  口腔衛生―若さと健康を保つため

2019年2月28日(木) 13:00~15:00  於 神戸市勤労会館
講師 田村 照美 氏  ㈱丸ふくケアセンター代表取締役
   主任介護支援専門員、社会福祉士、精神保健福祉士、歯科衛生士

 朝からの雨でしたが、15名の参加者でした。
昨年3月の「高齢者介護」に引き続き、今回は「口腔衛生」のお話で、いつまでも美味しく食べるためのお口の健康術について、パワーポイントを使い、実例も挙げながら詳しく話していただきました。

 健康長寿のための第一のポイントは、栄養と口腔機能(オーラルフレイル予防)であり、歯の本数を保って、口腔ケアをすることが大切である。
♦健康なお口を保つには、口腔ケアで歯石や虫歯を予防
 歯ブラシ(ナイロン毛、毛の平らなもの、約1カ月で交換)、 歯磨き剤(フッ素入 
 り)、正しいうがい(左右、上下をしっかり)、 歯間ブラシ(サイズを合わせる)、
 フロス(輪っかを作ってまわす)など。舌苔もやさしく清掃。唾液分泌を促す。
♦誤嚥性肺炎を防ぐ
 食べ物や唾液が誤って気管へ入らないために、防御の役割を果たす声帯を鍛える・・・・会
 話、カラオケ、コーラスなど
 舌を動かす・・・・パ・タ・カ・ラ、あ・い・う・べ体操
 口の筋肉をほぐす体操。顔全体の筋肉を使って早口ことばを言う(顔トレ)・・・・アエイウ
 エオア、カケキクケコカ、サセシスセソサ、タテチツテトタ・・・
♦チェックリスト
 1.食後に歯を磨く  2.歯磨きで出血  3.味がわからない  4.口臭が気になる
 5.口の渇き  6.食べ物がこぼれる  7.かたいものが食べにくい 
 8.口の中に食べ物が残る  9.食べ物が飲み込みにくい  10.食事中にむせる
♦美味しく食べるお口の健康術
 1.丁寧な歯磨き(歯ブラシ、歯間ブラシ、フロス使用) 
 2.口内の汚れを洗い流す(洗口剤など)
 3.糖の摂取を控え、栄養バランスのよい食物をよく噛んで食べる
 4.免疫力を落とさない(睡眠不足、過労、ストレスを避ける)
 5.声を出す(会話、歌う等)
 6.歯科医院で定期的にチェック

各々に歯ブラシのプレゼントもいただきました。日頃怠りがちな口腔ケアをしっかりやることと、おしゃべりや歌で声を出すことの重要性を再認識しました。

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# by yuzurihanokai2 | 2019-03-03 22:36 | 健康

小磯良平没後30年の特別展

  平成301122日 1300~   小磯記念美術館  23名参加

  ≪画像は展覧会のパンフレットや受付にあった小冊子からのものです≫

季節の変わり目で、日によって寒暖差が大きい時候ですが、この日は温かい一日でした。

 美術館は六甲ライナーのアイランド北口駅すぐのところにあります。美術館前には柔らかな日差しの当たっている並木道に秋を感じました。受付をすませ、学芸員の説明を聴きました。


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洋画家の誕生

 小磯良平は1903年、神戸で生まれた。三田藩の旧家の岸上家の次男だが、小磯家の養子となったこの時かかわったのが小寺謙吉である。三田中学(現在の三田学園)を開校した人物。神戸第二中学校では、詩人の竹中郁と生涯の友を得た。

東京武術学校の西洋画科に入り首席で卒業した。在学中の1926年に「T嬢の像」で帝展で特選を獲得。学校では応募を禁止したが別名で出展したそうな。学校名を出していたら選ばれなかったとか。


自画像 1926

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 T嬢の像 1926
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西洋美術との出会い
 竹中と大原美術館を訪れ西洋画に触れ、感動しあこがれを持った。

1928年フランスへ留学。ルーブル美術館などで西洋画を見るのに明け暮れたという。そして自分は、西洋画を追及し挑戦することとした。


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憧れから挑戦へ
 ヨーロッパで研鑽を積んだ彼は、抜群のデッサン力が光る人物画を多く描く。布の質感表現や光の表現に西洋絵画を十分に想起させ、その技量を発揮している。

 踊り子1940

b0211836_08533089.jpg      桃とクルミのある静物1939

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戦時下の大画面群像

1938年、藤田嗣治らとともに従軍画家として中国にいき、帰国後戦争画を制作した。そして群像表現を深めた。


  練習場の踊り子たち 1938


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 娘子関を征く1941

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斉唱 1941

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1944 谷川大尉像
 谷川大尉の戦死後、実家がある大阪市の関係者から肖像画制作を依頼された小磯が、遺影を元に遺族に贈ったとみられる像画は遺影と思い大事にされてきたが、遺族で話し合った結果今年7月に美術館に寄贈された。遺族は、「戦争を繰り返さないためにも多くの人に見てもらいたい」と話す。 (先日テレビで放映されていた。)


戦後の新たな挑戦

 働く人びと 1953

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 麦刈り1954

b0211836_08592978.jpg母子像1953

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かぼちゃのある静物  1957

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御影の風景 1986
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 1950年(昭和25)年から母校東京藝術大学で教鞭をとるようになる。後進の指導の中で時代の流れを無視することもできず、幾何学的な線描や原色を多く用いた作品を描いている。



アトリエ

1949年、住吉山手に建てられたもので、この美術館の中庭に移築されるました。中に入りると、彼の制作の様子が想像できるます。窓からの光が入り彼が追及した絵の陰影が得られそうです。 



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# by yuzurihanokai2 | 2018-12-07 20:30 | 美術鑑賞

歴史散歩 「網干の町を歩く」


    20181025日  講師 埴岡真弓氏

    参加者 21


少し肌寒いけれど日差しが当たる所はほどよくあたたかく、歩くのによい日和でした。網干駅前に午前10時集合でした。駅前の案内板で、講師より、網干町についてのお話がありました。網干は早くにひらかれ、物流の重要な拠点であったことが知らされました。

網干は古くから開発の進んだ地で、古社・古寺が多く、あちこちに歴史をうかがわせるものがあるようです。

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 地形としては、かっては海岸線がもっと内側にあって、揖保川が海岸近くで枝分かれし中洲ができ、網干デルタといわれるところに町が発展したのである。また余子浜、金毘羅神社、坂出、新在家 などどこかできいたような地名があることに気づきました。そして私が最も驚いたのは、丸亀藩陣屋跡があることでした。香川県出身の私が、ここで丸亀藩にであうなんて・・・。  

1658年、龍野藩主であった京極家が丸亀に移封されたとき、一万石足らないのでこの地の興浜、浜田などが京極家の領地として丸亀藩に属したということです。江戸時代には丸亀・龍野・天領に分かれた複雑な構成であったようです。

 駅前を出発して、路地を進み加藤家へ。加藤家は江戸時代に蔵元で廻船を、いとなんでいた。家の前にけっ秀碑と呼ばれるものがあり、その題字は勝海舟の書である。

   

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揖保川を分かれた網干川を少しはいったところに船泊があり、今も数隻の船が出入りしているのが見えました。船で運ばれたが物品がここで降ろされ加藤家に積まれたということのようです。加藤家のすぐ隣に船渡八幡神社があり、江戸時代の御神灯や玉垣、力石がある。八幡神社から網干商工会館の前を通り、西へ行くと、揖保川の流れが眼前にひらました。右方に網干大橋が見えました。

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 揖保川沿いを南西に行くとき、北原白秋が作詞した町歌の碑がありました。白壁の家が数軒、通りに面して並び、江戸時代にタイムスリップしたかにおもわれました。丸亀藩の陣屋門跡にて、ボランティアガイドの説明を聴きました。江戸時代、京極家がここに一万石の陣屋をおき、奉行を派遣して政務をおこなっていた。

さらに通りを行くと山本家着きました。

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山本家は約1800平方メートルの敷地に明治初期に建てられ、和館・洋館は大正時代に網干銀行頭取の山本眞蔵によって建てられた。内部をボランティアガイドの説明をききながら、見学しました。数年前までは一部で人が生活していたという。あと姫路市に譲渡された。管理が大変そうです。ステンドグラス、細工された格子模様のある戸、綿密にしつらえた天井板・床板、貝合わせが壁一面にちりばめられた浴室などなど、思い切り贅をつくした内装です。金庫室にはかって「あかずの金庫」があり、所ジョージの番組で開けたが、そこには大金でなく子供の成績表がはいいっていたとか。そして3階の望楼は民家には大変珍しいものです。そこから網干の町を見下ろせます。山本眞蔵は山本マッチを創設し、富を得たという。その工場が、屋敷から少し離れたところにあり、それをお客に見せるために望楼が作られたとか。


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 山本家から東へ行くと江戸時代に脇坂家(龍野藩)と京極家(丸亀藩)の藩境となっていた堀割にかかっていた堺橋の石材が残されていました。



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 それをすぎ、商店街を行くと旧網干銀行本店の建物があった。見事な洋館ですが、一階の一部が洋装店に改装されているのが惜しい。それから気になったのはこの日は休みだったのか、それともシャッター街になったのかお店が閉まっていました。

 山陽網干駅前に戻り、そこで昼食をとるレストランの送迎バスに乗りました。これは綾部梅林に接してある海辺のホテルのレストランです。海が見える部屋での昼食。海の向こうに家島群島が見えました。


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 昼食後、魚吹八幡神社に行きました。宇須伎津、魚吹について次のように記されています。

「播磨国風土記」揖保郡 より

宇須伎津(うすきつ) 右、宇須伎津と名づくる所以は、大帯(おおたらし)日売(ひめの)(みこと)、韓国(からくに)を平(ことむ)けむとして、度り行でましし時、御船、宇頭川の泊に宿りたまひき。此の泊より伊都に度り行でましし時、忽ち逆風(さかしまかぜ)に遭ひて、え進み行かずして、船越より御船を引かしめき。ここに、一の女人(をみな)ありて、資(つかひびと)に己が真子を上(たてまつ)らむとして、江に堕ちき。故、宇須伎と号く。

(いま)の辞(ことば)の伊須須(いすす)()なり。(=慌てふためくこと)                  

                            

「播磨國風土記」より

魚吹(うすき)の由来について、播磨國(はりまのくに)風土記(ふどき)には宇須伎津とあるが、本来、当地方は海べりの砂堆積地であった。魚が群れをなして砂を吹き寄せて、土地が出来たと云い伝えられている。

これは洋の東西を問わず語られる神話的方法で、魚は人とおきかえ、すなわち、多くの人々が、海を埋め埋めして開いていったと、後生永く伝えるため、魚吹伝説として今日まで云ひ伝えられた。

又、網干(あぼし)の地名も、この神社の祭礼に、漁民が一斉に、休漁して網を干して参詣したので網干と云うようになったと伝えられています。 

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魚吹八幡神社は320年に建立。播州で最も氏子の多い神社で、1021日・22日は秋季礼祭では神輿3台、だんじり4台、屋台18台が集まり、播磨で屈指の祭りとされている。そして呼び物は、宵宮での提灯行列と、宮入前の提灯練りである。よって「提灯祭り」とも呼ばれています。youtubeで一度見てください。力強くて華々しいさまは、きっと昔と変わらないのだろうとおもいました。

社務所の入口に入ったところに大きな屋台が、置かれています。屋台を彩る細やかで華やかな細工に圧倒されます。それから菊花展の準備をされていた神主さんより説明を聴きました。神社では農業に関する祭りが執り行われるという。秋季例祭はこの間終わったばかりでした。

  

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かっては 海運の拠点として広く知られ、大いに繁栄していた町が、今ひなびた小さな町としてひっそりたたずまっているように思えます。しかし人々が生き生きと生活していた様があちこちにうかがわれます。案内のパンフレットを見ると、まだまだじっくり見たいものがいっぱいあります。もっとゆっくり探索したいなと思いました。


# by yuzurihanokai2 | 2018-11-01 12:42 | 歴史散歩

ごはんのサイエンス ~炊飯研究に取り組んで~

 2018年(H30年)9月27日(木) 於 神戸市勤労会館
   講師 坂本 薫 氏 (S61家修食)  

                          参加者 16名

 本題に入る前に夫とは夫婦別姓、出産は自宅で(3人のうち2人)、夫が育児休業、の話を聞き、テレビ出演した時の写真など見せていただき参加者は興味深々。


 坂本さんの研究テーマは砂糖と炊飯および食文化と災害時の食支援。

炊飯はほとんどの家庭で毎日行っている身近なことであるが、きょうのお話を聞くと、奥が深いものだ、まさにサイエンスだ、ということがよくわかります。

いわゆる『ご飯炊き』は大昔から積み上げたものです。(弥生時代より)

昭和の太平洋戦争のあとでも かまどで羽釜で薪でご飯炊きをしていました。

それが、自動炊飯器での炊飯になりました。(1955年) 

坂本さんの研究に対する姿勢がものすごい。とにかく確かめる。膨大な実験データです。半端ではありません。

 玄米の搗精(5分搗き米、7分搗き米、胚芽米、精白米) 

 米の主成分であるでんぷん(βでんぷん、αでんぷん、アミロース、
 アミロペクチン)でんぷんの糊化、老化
 炊飯の温度変化  浸漬温度と吸水率の関係  etc

坂本さんはさらに研究され、粘りをとった『さらっとご飯』を炊ける炊飯器をメーカーと共同で開発されました。美味しさはそのままで飲み込みやすいご飯。やわらかくても

べたべたしない、高齢者も食べやすいごはんです。お粥では水分が多いので必要な栄養量が確保しにくいのです。『さらっとご飯』を炊ける炊飯器は高齢者の食生活のQOLを高められる炊飯器です。
本日の参加者は高齢者に該当する人が多いので『さらっとご飯』に興味を持ちました。

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# by yuzurihanokai2 | 2018-10-08 14:45 | サイエンス

国際交流 「海外ボランティア」-筆50本を友に各地へー

   平成30年 7月26日  於 神戸市勤労会館
   
   講師  川口 登美子氏(S39年食)


 例年になく酷暑が長く続く毎日にもかかわらず今回は16名の 参加がありました。

 本日の講演は講師に川口 登美子氏をお迎えし 「海外ボランティア」~筆50本を友に各地へ~ というタイトルで国際交流のお話をして頂きました。川口氏は書道家として長年活躍をされ、佐保会の本部でも書道のご指導をされておられます。近年は特に書道を外国の人々に日本文化の一つとして広める事に努力をされています。

今回はスライドを使い今までに幾度も訪問された東南アジア諸国を始めとし、世界各国での交流の様子をスクリーン上で説明して頂きました。小学生から大学生、教師の方々、ステイ先の人々又そのお友達と、次々に交流の輪がどんどん広がっていく様子がよくわかりました。墨と筆で紙一杯に漢字を書く日本古来の文化を世界中に伝えておられる川口氏の生き生きとした若々しさに、皆さん、何よりも感服されていました。その後氏より芳名録に書く自分の住所と名前を指導して頂き、その後しばし雑談し和やかに講演会を終りました。

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      ベトナムの生徒は漢字に興味があり幾度も訪問されています       
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# by yuzurihanokai2 | 2018-07-28 22:08 | 講演

文学講座  現代文学~ノーベル文学賞の周辺~

平成30628日  於 神戸市勤労会館

講師 秋里 三和子氏(S27文)


久しぶりの現代文学の講座でした。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後でしたが、16名が集まりました。昨年ノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロ氏(英国)は日本生まれということもあって、日本での関心が高く、222日の佐保会兵庫読書会でもイシグロ氏の作品を読んで合評したところでした。その後、ノーベル文学賞を選考するスエーデン・アカデミー委員会関係者のスキャンダルが報じられたこともあり、秋里氏のお話を心待ちしておりました。

秋里氏の講話から

アルフレッド・ノーベルの遺言によって1901年に設立されたノーベル文学賞ですが、アカデミー委員会内部の混乱により、2018年度の受賞者の発表は見送りという異例の事態となりました(今までの117年間に選考されなかったのは世界大戦中の6回のみ)。18人の選考委員は終身制でもあり、自浄作用が必要でしょう。

◇直近10年の受賞者と主な作品

2008年・・・・J.M.G.ル・クレジオ(フランス) 『調書』『向こう側への旅』

2009年・・・・ヘルタ・ミューラー(女性)(ドイツ) 『澱み』『狙われた狐』

2010年・・・・マリオ・バルガス=リョサ(ペルー、スペイン)『都会と犬ども』『世界終末戦争』

2011年・・・・トーマス・トランストロンメル(スエーデン)詩『17編の詩』『悲しみのゴンドラ』

2012年・・・・莫言(モーイン)(中国) 『蛙鳴』『赤い高粱』

2013年・・・・アリス・マンロー(女性)(カナダ) 『イラクサ』『林檎の木の下で』

2014年・・・・パトリック・モディアノ(フランス) 『暗いブティック通り』『八月の日曜日』

2015年・・・・スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ(女性)(ベラルーシ)

      ノンフィクション戦争は女の顔をしていない』『チェルノブイリの祈り』

2016年・・・・ボブ・ディラン(アメリカ) 詩 『風に吹かれて』『時代は変わる』

 2017年・・・・カズオ・イシグロ(イギリス) 『日の名残り』 『わたしを離さないで』

◇世界の主な文学賞

 ノーベル文学賞以外にも、ゴンクール賞(フランス)、ブッカー賞(イギリス)エルサレム賞、フランツ・カフカ賞(オーストリア、チェコ)、ルノドー賞(フランス)、メディシス賞(フランス)、芥川賞(日本)などの賞があり、ノーベル文学賞と併せて受賞している場合が多い。

◇ノーベル文学賞を受賞した日本人作家

 川端康成 1968年 『伊豆の踊子』『雪国』など

 大江健三郎 1994年 『飼育』『万延元年のフットボール』など。受賞記念講演「あいまいな日本の私」(英語版・日本語版)

  海外の現代文学の動向やエピソード、また、秋里氏が読まれた本(原語で読まれることが多い。特にフランス語)の内容や感想などを数多く聴かせていただき、眼が開ける思いでした。いろいろな本をできれば原語で読んでみること、また、大江氏の受賞記念講演(英語版)は聴きやすいので、ぜひ、ネットで聴いてみてくださいとのお薦めがありました。 原語は無理でも、資料に挙げられた受賞者の日本語訳の本を見つけて、ぜひ、読んでみたいという気持でいっぱいになりました。

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# by yuzurihanokai2 | 2018-07-04 22:37 | 文学

バスツアー 三田市方面



日時:平成30年(2018年)426日(木)9001700

参加者:24


 絶好の行楽日和、三宮東急REIホテル前に笑顔が揃いました。

まず、三田市西山にある旧三田藩主九鬼氏の菩提寺と位置づけられている曹洞宗の寺院、「心月院」を訪れました。山門をくぐると満開のヒラドツツジとキリシマツツジに彩られ、手入れの行き届いた美しい庭園に目を奪われました。

ご住職が出迎えてくださり、本堂で九鬼家の系図を皮切りに、書画などについてユーモア溢れる説明をたっぷりと聞かせていただきました。ご本尊は釈迦牟尼仏、建物のほとんどが江戸時代ということでした。蔵から出てきたという数々の資料が丁寧に保存され展示されていました。帰りには歴代藩主の九鬼家の墓所、白州次郎・正子夫妻の墓所に手を合わせました。

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 次に、三田市屋敷町にある「三田ふるさと学習館」を訪ねました。木造2階建ての旧保健所の建物で、60歳以上のメンバーで運営されていると伺い、親近感を覚えました。

 三田藩の家老職として活躍した白州一族に関する展示を見た後、「旧九鬼家住宅資料館」の説明を聴きました。明治9年頃に建てられた擬洋風建築で、兵庫県重要有形文化財に指定されています。1階は和風の造りで2階は漆喰壁で鎧窓、ベランダを備えた洋風の趣に造られています。休館日のため1階のみ特別に見学をさせていただきました。小学生が昔の暮らし体験に訪れることもあるそうです。


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 お昼は「がんこ お屋敷 三田の里」でいただきました。新緑と芝桜、ツツジ、シャクナゲの花に迎えられ、美しい庭園を眺めながら、品数も多く美しい料理に舌鼓をうち、おしゃべりも弾みました。


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 食後は「有馬富士公園」を散策。「自然休養型の文化公園」を基本テーマとした兵庫県下最大の都市公園です。小さいながら円錐形の美しい形をした有馬富士はまぶしいほどの新緑に覆われ、展望台からは福島大池、鯉のぼりの泳ぐ茅葺き民家、棚田など里山の風景が眺められました。樹木や花、鳥類などの資料も整い、興味深い施設でした。

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 この公園の「休養ゾーン」にある「風のミュージアム」は、世界で初めての野外ミュージアムと言われています。彫刻家 新宮晋氏の、風を受けて優雅に舞う彫刻が12点、展示されています。

大芝生広場でクローバーの感触を楽しみながらの散策、ビオトープでのトンボやメダカの観察、他愛ないおしゃべり、彫刻の微妙な動きに感動、濃い緑の中に風を感じながら思い思いに時を過ごしました。極上の癒やしになりました。


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 最後は三田市の北の端、永沢寺(えいたくじ)にある芝桜「花のじゅうたん」を見に行きました。今春は桜の開花が早く慌てましたが、芝桜はちょうど見頃でした。丘一面がピンク色、顔も洋服もすべてがピンクに染まったかと思えるほどで、緩やかなスロープを上ったり下りたり存分に堪能しました。


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母子(もうし)茶や黒豆茶の試飲や、地元の特産品のお土産を選ぶ楽しみもありました。


 向かいにある曹洞宗「永沢寺(ようたくじ)」にお参りしたり、隣接する「ぼたん園」で華やかなぼたんと椿の花を愛でる人たちもいて、余すところなく味わうことができました。


 帰りのバスの中では、いろいろな飴や美味しいお菓子をいただき、心地よい疲労感と満足感でほっこりとした時を過ごしました。渋滞もなく予定通り三宮に帰ってくることが出来ました。


 盛りだくさんのプログラムでしたが、参加された皆さんの時間厳守の行動のおかげで、すべて訪ねることができました。ありがとうございました。また、詳細な計画や訪問先との打ち合せなど運営に携わってくださった方々に心から感謝いたします。

再び皆様とお目にかかれるのを楽しみにしています。
























# by yuzurihanokai2 | 2018-04-30 16:01 | バスツアー

楪(ゆずりは)の会

(ゆずりは)の会  サロンコンサート

      2018315  磯上邸 1300~1500

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<ヴァイオリンとピアノの調べ>

            Violin 藤井勢子(S48家食)

            iano 中川陽子(神戸女学院音楽科)

 長く厳しい今年の冬もやっと終わり春らしい3月15日ヴァイオリンとピアノのテコンサートが磯上邸で催さ れました。バイオリニストの藤井さんとピアノ伴奏の中川さんが登場されると一気に春が来たような会場になりました。演奏の曲目も第一部は春をテーマにシューマンの子供の情景、メンデルスゾーンの春の歌、また宮城道雄の春の海、ベートーベンのスプリングソナタN15を心地よく聞かせて頂きました。テタイムには各自好みのケーキと飲み物を頂き話にも花が咲き第二部の演奏開始になりました。藤井さんの演奏と曲の解説と楽しいトークに心の癒される時間を過ごしました。最後に皆さんで早春賦を合唱し閉会いたしました。

        

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# by yuzurihanokai2 | 2018-03-26 23:05 | コンサート

高齢者介護の現状


   3月1日(木) 勤労会館(三宮)

    講師:田村照美氏(丸ふくケアセンター 介護支援専門員)

 参加者数13

多くの人が今、気になっている高齢者介護の現状についての現役ケアマネジャーの講座でした。今まで楪の会で見かけなかった方も参加されていました。

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高齢化がすすみ、要介護高齢者の増加、介護期間の長期化、介護する家族の高齢化など、介護問題は緊迫化していると言えます。高齢者の介護を社会全体で支え合う介護保険制度が創設されて18年になります。

要介護認定制度は一次判定では基本調査や主治医の意見書に基づくコンピューター判定を行い、二次判定は介護認定委員会によって行われ、この時主治医やケアマネージャの情報によって判定が行われます。

 介護サービスには介護給付として居宅介護サービス(訪問サービス、デイサービス、ショートステイなど)居宅介護支援、施設サービス、地域密着型介護サービス(グループホームなど)また予防給付を行うサービスとして訪問サービス・通所サービスがあったり、グループホームなどがあります。

 サービス利用者は創設時(2000年)は149万人が、今や500万人を超えています。高齢者人口は2016年には3459万人で高齢化率は27.3%です。それで今、要介護にならないための施策(予防・リハビリ)の重要性があがってきています。そして認知症高齢者が現在150万人で2025年には320万人といわれています。また高齢者の一人暮らしや夫婦のみが増加しています。

 介護支援専門員(ケアマネージャー)は問題やニーズを把握しサービス計画書を作成、仲介、コーディネートやなどさらに利用者やその家族の相談者や代弁者となります。そこでケアマネージャ選びにおいて評判を聞くのが重要であります。またケアマネージャーはかえられるということです。ケアマネージャは月に1回は訪問し、家中のにおい、散らかり、ごみの観察を行います。

 高齢者の虚弱(フレイル)は加齢とともに心身の活力が低下し、生活機能障害が、要介護状態、死亡などの危険性が高くなった状態です。フレイルには適切な介入・支援により、生活機能の維持向上が可能となります。そのあり方が今後必要であります。前虚弱(プレフレイル)の時に見られる兆候として、味覚がは変わる(味蕾の変化)、だ液が減る(一日1リットル→半分に減少)であります。フレイル予防としてしっかり歩く・しっかり噛んで、しっかり食べる・社会性を保つ・趣味を持つことが必要です。

 なかでも口から食べる楽しみの支援の充実が図られることがいります。加齢に伴い口の中では歯周病が進行します。だ液が減ることがその要因です。食べ物を見、匂い、味わうことによりだ液が出ます。特に頬の下部を抑えて刺激し耳下腺からのだ液分泌を促すのが良いです。さらに重要なのは誤嚥を防止することです。誤嚥による肺炎が多くみられます。口に食べ物が入るとき声帯が気管をふさぎ、食物が気管に行くのを防ぎます。声帯を鍛えるのに嚥下体操が紹介されました。(これを読んだ方ぜひ実践してください。) 





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 現役のケアマネージャのお話で、経験が裏付けられており、説得力がありました、今後に大いに参考にしたいと思いました。この講座のなかで、だ液分泌の重要性がありました。また歯周病が他の重要な病気を引き起こすことが最近よくききます。来年度は口腔衛生についての田村照美氏の講座が予定されています。

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# by yuzurihanokai2 | 2018-03-17 09:33 | 福祉講座

大エルミタージュ美術館展

 平成29年11月9日(木) 13時~15時(自由解散)

 於兵庫県立美術館   参加者22名


「大エミルタージュ美術館展」の絵画鑑賞がありました。

女帝エカテリーナⅡ世によって1764年からコレクションがはじめられ、現在310万点の美術品が所蔵されています。エルミタージュとは「隠れ家」という意味で、最初は私的なコレクションであって公開されていなかったが、1852年に貴族たち一部に公開されるようになり、ロシア革命後国有化されて1920年一般に公開されるようになった。今回の展示は、「オールドマスター」とよばれる、16~18世紀のルネサンス・バロック・ロココの時代に活躍した巨匠の絵画の85点が展示されています。西欧でのこれら3時代についてネットなどで調べて簡単にまとめてみました。

「ルネッサンス」:14~16世紀 イタリアを中心に起こった古典古代の文化を復興しようとする文化革命。

「バロック美術」:16~17世紀イタリアで始まった。ルネッサンスの反動として生じた運動でダイナミックで、豊穣さ、壮大さがみられる。

「ロココ美術」:フランスに始まったバロックの豪壮・華麗に対して、優美・繊細・自由を求め、装飾性があり、軽快な彩で表現した。


今回の展示では6つの区分にわけて展示されていた。

,イタリア:ルネサンスからバロックへ

,フランドル:バロック的豊穣の時代

,オランダ:市民絵画の黄金時代

,スペイン:神と聖人の世紀

,フランス:古典主義的バロックからロココへ

,ドイツ・イギリス:美術大国の狭間で


午後1時からミュジアム・ボランティアの解説がありました。展示物の区分けと各区の数点の作品の解説がありました。絵画に描かれた人物像やエピソードなどが話されました。後で実物の絵画を観たとき、味わいをより深めることができました。女性の明るく優雅な感じの肌、衣類の光沢や柔らかな質感は素晴らしく感じました。また描かれた人々のいろいろな表情が本当にうまく表現されていました。慈愛に満ちたすきとおるような聖母の顔が印象に残っています。衣装の細やかな模様や光沢やしわの描き方、動物たちの繊細な毛並み、雄大な建物を隅々まで精魂込めて描かれているさまには圧倒されました。これこそは職人芸だと思いました。何百年の前の色あせない絵を見ながら、その時花開いた文化の一端にふれました。当時のこれらの絵にふれた人々は、人間の豊かさ、自由さに感嘆したのではないでしょうか。

午後1時集合でしたが早めにきてロビーに歓談の輪がありました。近況とかいろいろな話題があったことと思います。観たいなと思いつつ、ついつい見逃してしまうことがあるが、このような集まりがあると出かけやすいのではと思います。      

               

パンフレット表紙より  

     戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像 

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     館内で雄一撮影をゆるされたものです      サイズ220.5×151cm
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     羽根飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像

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県立美術館入り口に置かれたポスターより
      盗まれた接吻 
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     聖母マリアの少女時代
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パンフレットより
     林檎の木の聖母子
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     鳥のコンサート
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     スケートをする人たちと鳥罠のある冬景色
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# by yuzurihanokai2 | 2017-11-19 20:17 | 美術鑑賞