講師:埴岡真弓氏 (S53文史・S55博前史) 日時:2024年10月24日(木) 10:00~12:30(阪神打出駅前集合・JR芦屋駅で解散)
《見学コース》
阪神打出駅→1金津山古墳→2旧松濤館→3打出天神社→4阿保親王塚古墳→5阿保天神社…西国街道…(業平町)→JR芦屋駅
さわやかな秋の一日、在原業平伝説の地を埴岡真弓さんの案内で訪ねました。
参加者は講師を含めて19名でした。
1 金津山古墳(芦屋市指定史跡)
古墳時代中期後半(5世紀後半) 前方後円墳(墳長約55m)
現在、残っているのは後円部のみ(直径約42m)別名「黄金塚」「金塚」
阿保親王(平城天皇の第一皇子)が村人達のために金瓦一千枚黄金一千枚を埋めたという伝説があります。かつては打出小槌古墳など海岸沿いに多くの古墳がありました。

2 旧松山家住宅松濤館(芦屋市立図書館打出分室) (国登録有形文化財)
金庫・仏具商の松山與兵衛の所有地を戦後芦屋市が購入し敷地南にあった仏教美術品の収蔵庫「松濤館」を改修。昭和29年より市立図書館として開館(平成2年から打出分室) 建物は昭和5年に松山が大阪市内の某銀行を買い取り移築したもの。打出教育文化センター内の日本庭園も松山家のものです。
阪神間モダニズムの建築物で、松と濤の文字をデザインした物が扉にあります。


3 打出天神社
主祭神は菅原道真。古くは産土神(うぶすながみ)を祀っていましたが、室町時代に荘園(芦屋荘)が北野天満宮の社領となったことから天神が勧請されたとしています。
古来、芦屋は交通の要衝で都と大宰府を結ぶ官道が通っていました。古代は道幅が6mから8mもあったそうです。
葦屋駅家(あしやのうまや)伝承地の一つ。古代の駅家は国司や官人、外国の使節らのための宿泊施設・迎賓館で多数の馬が常備されていたそうです。
境内社の厳島神社は明治まで金津山古墳に祀られていたものを合祀されました。

4 阿保親王塚古墳
古墳時代前期(4世紀)現在は径約36mの円墳ですが、江戸時代の毛利(萩)藩による修補によって大きく改変されており、本来は前方後円墳もしくは方墳と考えられています。宮内庁の管轄です。

5 阿保天神社
祭神は阿保親王・在原業平・菅原道真
阿保親王は平城天皇の皇子ですが、薬子の変で出家した父の平城上皇と廃太子となった高岳親王に連座し大宰府に左遷されました。平城上皇の崩御後に入京を許され、阿保親王の子息達は臣籍降下し、在原の姓を賜わったのが業平・行平です。
参加者は説明に熱心に耳を傾け、質問をしていました。知らなければ通り過ぎてしまいがちな場所を訪ね、埴岡さんの詳しい説明で打出小槌町、親王塚町、業平町などの由縁も知ることができました。