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佐保会兵庫県支部 楪の会 

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庭園研究家・故森蘊先生の思い出を受け継ぐ奈女大生たち

講師 中島悦子氏(S34文地)

日時 令和6425日(木)13:3015:00

場所 ウィズあかし 学習室703

出席者 19名(含講師)


中嶋悦子氏のお話の概要です、

庭園研究家・森蘊先生を囲む会は「槐の会」(えんじゅの会)と名付けられ、奈良女子大学2期生(昭和29年卒)から7期生(昭和34年卒)の20人余りが属していました。森蘊先生に案内していただいて、学生時代から寺社や庭園を数多く見学させていただくという稀有な経験をしました。

そのきっかけは次の通りです。森先生は東京の方ですが、昭和27年に奈良国立文化財研究所の室長として着任され、日吉館に滞在しておられました。日吉館の女将を話し相手にされていましたが、忙しい女将は奈良女2期生の喜多さんに森先生を紹介し、喜多さんは友人に声をかけて、森先生のご案内で庭園見学が始まります。森先生は奈女大に非常勤でも来ておられました。

森先生は昭和42年に定年退職され、翌年京都の自宅に「庭園文化研究所」を設立され、昭和63年に逝去されました。その後は、きよ子夫人と共に先生ゆかりの庭園見学を続けますが、平成19年にきよ子夫人が逝去されてから槐の会は休眠状態となりました。

森先生没後33年が経った2021(令和3)年9月、槐の会メンバーは森蘊先生の思い出を綴ることになり、昔の写真や森先生からいただいたスケッチ入りはがきなどを探し出して、2022年11月に『「庭ひとすじ」の人(森蘊先生の思い出)』を刊行することができました。この本の刊行をすすめてくださったのが、編集者エマニュエル・マレスさんです。マレスさんとの出会いがこの本を作るきっかけになりました。

エマニュエル・マレスさんとの出会いのことをお話します。

マレスさんは1978年フランス生まれで、大学で日本語や日本文化を学んだ後、2006年に来日して京都工業繊維大学で博士号を取得、2019年に京都産業大学文化学部准教授となられました。大学院時代に作庭家の下で植木職人見習いをしている時に森蘊の庭に興味を持ち、奈文研で森蘊の資料を研究をされました。2021年6月、奈文研から展示会「奈良を測る・・・森蘊の庭園研究と作庭・・・」(8.7~9.12)の案内状をいただき、槐の会メンバー4人が参観に出かけました。そこでマレスさんにお会いして、囲む会の写真などをみせてお話しているうちにマレスさんから「皆さんで森蘊先生の思い出を書いたら?」との提案を受け、槐の会メンバーで話し合って書くことになりました。

この本をまとめることで、庭園のことを私たちに教えてくださった森蘊先生の思い出が蘇り、形にして残すことができてほっとしています。

そのご縁で、皆様の前で森蘊先生のことをお話する機会を得ることができ、とてもうれしく思いますと結ばれました。

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# by yuzurihanokai2 | 2024-05-01 21:32

ITは、佐保会の活性化に資することができるか⁈

ITは、佐保会の活性化に資することができるか

  講師 丸岡 玲子  S53理数 ITサロン運営委員長

  2024.2.22 13:30~15:00  於 ウィズ明石

  参加者は講師も含めて12

ITは、佐保会の活性化に資することができるか⁈_b0211836_12515114.jpg

講師の司会によって質問形式ですすめられた。

いろいろ応答があり、有意義な話も出て、あっという間の1時間半でした。

1 まず佐保会の活性化とはどういうことか?どうすれば

  若い人の参加がある

  佐保会コンテンツを作ってバズる

  働いている人の参加がでできる

  幅広い年代の交流がある・・SNS交流など

2 同窓会の活性化

  プラス要因 

    参加すればいろいろ満たされメリットがある

    人とのつながりができる

    興味のある催しがある

    寿命がのびて時間ができたのを利用

    昔の経験を共有できる

    同窓生と交流するのが楽しみ

    安心して付き合える

    

  阻害要因

    若い人が忙しい

    就業年齢が70歳くらいで活動しにくい

    活動、旅行は佐保会でなくても

    奈良女の人は自立した人が多く会に参加しない人も

    先輩がいて参加しにくい

    参加したら役があたる 

    会費が高い


3 どうやって対処・活性化のためのアイデア

  オンライン会合・・コロナ禍のなか少しはおこなわれたが

    ゆるくつながるコミュニテイで催しを行う

       同窓生と交流するたのしみ

       勉強になるなど役に立つ

       自分の趣味とあう。

    参加するとメリットがある。

       仕事、キャリア形成に

       子育てに役立つ

   新入会員は総会招待で参加費無料だが、その1回目の総会のあり方を工夫しては

       アンケートをとってみる

   メルマガ1本にし、紙なしにする

       相互の連絡にLINEをつかえるか?

       WhatsApp(世界中でつかえる無料のメッセージングと通話アプリ)の利用も

   佐保会会員のデーターベースを作成し利用

       有益な情報がいつでも・どこでもえられ、世代を超えた役に立つネットワークとして考えては?

       佐保会は人材の宝庫・・生かされていない

         いろいろな分野で頑張っている会員はいっぱいいる

Linkedin(世界最大のプロフェッショナルネットワーク)の利用など   

 https://jp.linkedin.com

       

実態をつかみ今日の話を広げていきたい

          実務は 本部にやってもらえれば

  個人情報を守るにはどうすればいいか

素晴らしいキャリアや能力を秘密にしてどうするの?


感想 ITの可能性は多大です。組織運営にITをどうとりこむか。それを推し進める、人材を見つけることも大事です 

特にデーターベース化と個人情報の保護との関係をしっかり考えないと

時には佐保会のの活性化について考え話し合うことがあってもいいのでは



# by yuzurihanokai2 | 2024-02-29 15:14 | 会の活動

鑑賞  ひょうご五国のやきもの



2023年11月16日(木)
於 兵庫県立歴史博物館(姫路市城内)
10時:JR姫路駅集合 10:30頃~11時40分:鑑賞 
12:00~13:00 和ダイニング・三日潮にて昼食
参加者:11名

 開館40周年記念企画展として、兵庫県立歴史博物館のコレクションを中心に紹介されている「ひょうご五国のやきもの」を鑑賞しました。
 兵庫県を構成する旧五国(摂津、播磨、但馬、丹波、淡路)の各地では古くからさまざまなやきものが焼かれ、その技や作品の一部は現在に至るまで受け継がれています。近年の発掘調査によって姿を現したやきものもあります。多彩な焼物や発掘陶片の数々は初めて観るものが多く、興味深く鑑賞できました。

第1部 播磨  姫路版藩のやきものー東山焼―
 江戸時代後期に姫路市南東部の興禅寺山麓で生産が始まり、その後姫路城の北西部の男山麓に移った。中国産陶器の京焼風高級磁器の他、小皿など暮らしに用いる器も生産していた。姫路藩窯としての役割を終えた後、廃窯となった。
 写真(1) 東山焼 染付龍文花生
 
(1)
鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11052548.jpg

 写真(2) 東山焼の燭台を改造したランプ
明治元年、生野鉱山の開発とともに、外国人技師にも愛でられた。
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鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11043124.jpg


 明治10年、姫路市内に永世舎(陶磁製造会社)が設立され、有田や京都の陶工や絵師を招いて、アメリカなど海外への販売も積極的に行った。明治21年頃まで活動を続けた。
 写真(3) 東山焼(永世舎) 色絵秋草文四方花生
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鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11095543.jpg



第2部 但馬 くらしの中のやきものー出石焼―
 現在の出石焼は繊細な細工を施した白磁がよく知られているが、江戸時代は肥前系磁器(伊万里焼)の系譜に連なる製品が主力で、白地に青色の絵付けをした染付の日用品が数多く生産された。寛政年間に陶磁生産が始まり、出石藩による経営を経て、次第に民間経営の窯に受け継がれていった。
 写真(4) 出石焼 染付十六羅漢図水注 
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鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11113030.jpg



明治30年代に顔料がもたらされて、出石焼に新たな彩色が加わった。
 写真(5) 出石焼 色絵籠目小鳥細工壺(友田安清作)  
 近代出石焼の代表作の一つで、万国博覧会で世界を驚かせた。
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鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11253133.jpg





第3部 丹波 丹波の多彩なやきものー丹波焼―
 丹波篠山市の立杭地域を中心に、平安時代末頃に常滑焼や渥美焼などの技術を導入して成立し、現在までやきものづくりが受け継がれている。江戸時代には釉薬、化粧土などによる装飾や形態などが多様化し、特に江戸時代末期には新たな装飾法や技術が取り入れられて多様な作品が生み出された。
 写真(6) 丹波焼 赤土部灰釉四耳壺
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鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11125079.jpg




第4部 摂津・丹波 三田焼と王地山焼 ―型が生み出す多彩な器ー

 三田焼の始まりは宝暦年間(江戸中期)頃で、文政年間(江戸後期)に最盛期を迎えた。明治12年に三田藩士によって三田陶器会社が設立され、明治19年まで操業を続けた。篠山の藩窯である王地山と三田では同様の型を用いた製品が見つかっており、三田焼と王地山焼の判別が困難な場合が多い。
 写真(7) 王地山焼 染付饕饗文龍耳付花生
 写真(8) 三田または王地山焼 交趾釉四神文菓子器
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鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11144735.jpg
       
(8)
鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11142215.jpg



第5部 淡路 珉平焼―淡路島のやきものー
 南あわじ市の庄屋(醤油製造)の家に生まれた賀集珉平は、京都で製陶を学び、淡路島に戻って陶磁器製造や釉薬の研究を行って、徳島藩主・蜂須賀氏から「御用御陶磁器師」の称号が与えられた。長男、甥、淡陶社へと引き継がれ、明治期前半のうちに海外輸出の道も開いていったが、明治期後半からはタイル生産が同社の主力となっていった。
写真(9)  珉平焼 お福香合
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鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11162749.jpg




 「ひょうご五国のやきもの」展 鑑賞後、少し歩いて、播磨国総社射楯兵主神社のそばの「和ダイニング三日潮」で昼食をいただきました。姫路の海の幸、山の幸いっぱいの秋らしいお料理でした。
 写真(10) 兵庫県立歴史博物館
 写真(11) ひょうご五国のやきもの展ポスター
 写真(12) 三日潮のランチ
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鑑賞  ひょうご五国のやきもの_b0211836_11211262.jpg
(11)
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(12)
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# by yuzurihanokai2 | 2023-11-22 11:34

歴史散歩 「ウナイ乙女伝説の地 ―箒の宮から処女塚古墳まで―」


講師 埴岡真弓氏 (S53文史・S55博前史) 播磨学研究所研究員
2023年10月26日(木)10:00~14:30 (JR六甲道駅集合、阪神新在家駅で解散)
《見学コース》
1徳井神社(箒の宮)→ 2旧石屋川隧道記念碑→ 3綱敷天満宮…石屋川公園…4御影公会堂(昼食)…西国街道…5東明八幡神社→ 6処女(おとめ)塚古墳→ 7こうべ甲南武庫の郷 (解散)

 秋晴れのもと、万葉集や大和物語に登場する悲恋伝説の主人公ウナイ乙女の墓とされる処女塚古墳を目指し、周辺の地を埴岡真弓さんの案内で訪ねました。
 参加者は13名でした。

1徳井神社 (箒の宮)
 「徳井神社の名称は昭和36年からで、それ以前は「應神天皇神社」と称していた。古くから徳井(現・灘区)の地に祀られていた、上宮・中宮・下宮と称される八幡神社三座の一つで、上宮に当たる。
 境内社である八幡社の祭神は神功皇后で安産に霊験あらたかな「箒の宮」として知られる。陣痛が始まると同社から借り受けた荒神箒で腹を撫で、安産の後に水引を掛けて奉納する風習があった。現在も安産祈願に小箒を授けている。
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2旧石屋川隧道記念碑
 石屋川隧道は日本で最初の鉄道トンネルとして開削された。その当時から石屋川が天井川を形成していたため困難な川底トンネルを掘らねばならなかったが、明治3年(1870年)英国人技術者の設計監督で着工し、翌年に完成した。(大正8年に解体)
 石屋川の下を横断し延長は61メートル。
 他に芦屋川・住吉川も天井川で、東海道線工事の時に川底トンネルが掘られた。
           (当時の写真は説明版から)
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3綱敷天満神社 (御影の天神さん)
 延喜元年(901年)菅原道真が太宰府に左遷される途中、石屋村の祖・山背王(やましろのきみ)に別れを告げるため当地に立ち寄った。山背王は石の上に円座のように綱を敷きお迎えしたとされる。道真9世の孫、菅原善輝が太宰府に赴任する途中この地を訪れ、道真ゆかりの地として雷神社に道真を合祀し「綱敷天満宮」と社名を定めたという。
              《 綱打神事 》
 1月8日に氏子の代表者が、小綱36本を12本ずつ3束にして練り合わせ太い大綱を作り注連柱に3巻半に張り渡し、8本の白矢を突き刺し、多くの榊葉を束ねて下に吊るし御幣と麻緒を付ける。
 ここを潜り抜けることによって一年間無病息災で暮らせると言い伝えられている。
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・石屋川公園
 東灘区と灘区の区境を流れる石屋川沿いにある公園で約1.5㎞続く。御影公会堂附近は、野坂昭如の「火垂るの墓」の舞台として知られモニュメントもある。桜の名所。
4御影公会堂
 国の登録有形文化財。旧御影町が白鶴酒造7代目加納治兵衛の寄付を受け、昭和7年に着工し翌年に完成した。戦災で内部は焼失したが外壁は残り改修した。平成29年に耐震改修工事完了。
 レトロな内装の食堂で昼食をとり、参加者は親交を深めた。
              (玄関ホール)
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・西国街道と徳川道
 兵庫開港に伴い、慶応3年(1867年)外国人と大名のトラブルを避けるため、迂回路である徳川道が造られた。石屋川東岸から分岐し、摩耶山裏から現在の森林植物園・鈴蘭台・白川・高塚山を経て明石大蔵谷で再び西国街道に合流。

5東明(とうみょう)八幡神社
 社伝によれば、神功皇后が朝鮮半島に向かう時、武内宿禰が戦勝を祈って当地に若松を植えた。松は大木に育ち、後にこの地を訪れた武内宿禰はこれを瑞兆とし、應神天皇の遺徳を偲び松の傍らに祠を建て「正八幡宮」とし、遠目(東明)の郷の氏神とした。

6処女塚(おとめづか)古墳
 国指定史跡。古墳時代前期に作られた前方後方墳。石屋川によって形成された扇状地上に造られた。処女塚古墳と、東灘区住吉宮町1丁目の東求塚古墳、灘区都通り3丁目の西求塚古墳は、万葉集に歌われた悲恋物語の登場人物達の墓と信じられてきた。
 しかし、古墳造成の年代から、ヤマト王権と関係を持つこの地方の豪族を葬ったと考えられている。
*ウナイ処女伝説
 摂津の国に住む娘に同国の男と和泉の国の男が妻に求めたいと争うようになった。娘は心を痛め生田川に身を投げてしまった。男二人も同じ所に身を投げ、一人は女の足を、もう一人は手をとらえて死んでしまった。そこで、女の墓の傍らに男達も二つの塚を造って葬られた。
 後年、大和物語や謡曲の題材になっている。

 埴岡さんの詳しい説明に参加者はメモを取りながら熱心に聴き入っていました。古代ロマンに思いをはせ、東求塚古墳や西求塚古墳も訪れたいと思いました。






# by yuzurihanokai2 | 2023-10-29 17:55 | 歴史散歩

明石天文科学館  プラネタリウムと天文の科学

2023年9月28 12:45~15
  於 明石市立天文科学館

   参加者17

10月が近いというのに日差しがきついなか科学館にいきました。最後にちょっときつめのスロープをのぼりました。

明石市立天文科学館は東経135度子午線上に1960年に建てられました「時と宇宙の博物館」です。子午線とは真北と真南を結ぶ線で、明石は日本標準時の基準となるい東経135度子午線上にあります。高塔は54mだそうです。

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まずはプラネタリウム室へ。

ここのプラネタリウムはドイツカールツアイスイエナ社製で1960年より稼働し現役日本最古のものだそうです。阪神・淡路大震災でも無事だったとのこと

それぞれ思う席につき見上げました。 


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投影前のプラネタリウムの写真撮影できるのはここまで。

だんだん暗くなりはじめ、ナレーションが始まりました。当科学館のパンフレットで感じとってください。

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一番星を探すところからです。月が東に上がってきました。明日が中秋の名月です。それから夏の大三角形が紹介されました。彦星(アルタイル)と織姫星(ベガ)とデネブですデネブは白鳥座のお尻あたりの星です。

あと北極星の見つけ方・・・夏の三角形やカシオペア座からが紹介されました


天の川がはっきり見えます。幼い時田舎で見たような記憶が。今は付近が明るくなり、

なかなか見えません。

月の近くに輝く土星・・・望遠鏡で見える土星のわっかが映されました。

それから太陽の周りの惑星が説明されました。いろいろ説明があり、星空にうっとりしながらリクラインの椅子にもたれついうとうとしたような気がします。

朝、太陽が上がり始めました。


プラネタリウムのあとは14階で展望を楽しむように勧められ上がりました。上がったところの出口の前に見える明石海峡大橋が目にとびこみました。ちょっとかすんでいて写真でははっきり見えませんが。

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ぐるっと一回りして大パノラマを満喫しました。明石城のやぐらもJRの明石駅も線路を走る列車も小さく見えました。

15階には天体望遠鏡があり、4階には日時計などがあるそうです。

それから私は3階にいきいろいろな展示を見たり体験したりしてすごしました。

宇宙に関する展示として、ブラックホール・・ブラックホールは重力が強く、あらゆる物体や光が吸収されていきます。中心あたりは黒い穴のように見えます。ブラックホールの模型ではピンポン玉の大きさの球がすり鉢状の中をまわりながら中心部へ落ちていくのを示す展示です。2022年銀河系中心のブラックホールが電波望遠鏡で直接とらえられました。ブラックホールの本体は見られないが周りのガスがすいこまれるとき高速で回転するために出す光でとらえるのです。




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また月の満ち欠けをわかりやすく模型でしめされていました。

次は宇宙に飛び立ったロケットの歴史です。

そして宇宙からの来訪者である隕石の展示、おもわずさわってみました。


次に時に関する展示場です。科学館のシンボルの大きなと時計につながりその針の動きを調整する装置が展示されていました。

同じ装置が2つあって故障時の対応をしているそうです。

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時計の進化の歴史は、砂時計や水時計に始まりゼンマイ仕掛けの時計、電子時計などの展示がありました。



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科学館の入り口には天智天皇の時代に使われた「漏刻」が科学館の入り口の横に再現され展示されています。水時計の一種です。いくつかの水槽が細管でつながり、水が順番におり、一番下の水槽の水面が上がることで時刻を知る仕組みです。

時の記念日6月10日は天智天皇が671年6月10日に時を知らせたことに由来します。


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たくさんの丁寧な展示があるのですが、なかなか集中しないとみられずなんとなく不十分感がありま

す。また来たいと思いました。































































# by yuzurihanokai2 | 2023-10-08 10:50 | 施設訪問